羊蹄山を背景に佇む北海道・ニセコ本社
1994年、わたしたちは、本当においしいお茶をお届けするために「レピシエ」をつくりました。
あれから30年の月日が流れましたが、今も変わらず、食生活をおいしく楽しくすることばかり考えています。もっともっと、おもしろいことを探して。「ルピシア」の旅は、これからもずっと続いていきます。
緑碧茶園(ルーピー チャエン) ―― 東洋のお茶も
2001年、東京・青山にオープンした「緑碧茶園」のエントランス
レピシエのオープン時は紅茶メインの品揃えでスタートしましたが、喫茶のルーツである中国・台湾のお茶や、日本のお茶をもっと深めることで、安らぎと健康、活力を与えてくれるお茶文化の豊かさや奥深さを、もっともっと知っていただきたいと考えるようになりました。
バイヤースタッフは、中国・台湾などの産地・茶園を訪ね、さらには国内各地の生産者さんも次々に訪ね歩き、直接仕入れによって紅茶に負けない魅力的な品揃えができるという確信を深めていきました。
そして2001年、東洋のお茶専門店「緑碧茶園(ルーピーチャエン)」をオープンさせました。レピシエと同じサンプルカウンターつきの量り売りで、テイスティングカウンターでは目新しい中国式・台湾式のいれ方で、薫り
高いお茶が楽しめ、豊富に揃えた「緑茶」ベースのフレーバードティーは、当時世界のどこにもないものでした。この時生まれた「白桃烏龍 極品」は、現在もルピシアのベストセラーとして世界中で愛されています。また、お茶のおいしさを新鮮なままお届けできる、真空・窒素充填した袋入りのお茶を導入したのもこの時でした。
その後レピシエと緑碧茶園は、国内で次々に複合店をオープンさせたばかりでなく、当初の夢のとおり、メルボルンで、ハワイで、海外店舗も次々にオープンさせていきました。
世界のお茶専門店へ
こうして大きな歩みを進めてきたレピシエと緑碧茶園は2005年、両店を統合し、「世界のお茶専門店ルピシア」として、新たなスタートを切ることになりました。新しい店名となった「ルピシア」は完全な造語ですが、従来の「レピシエ」と「緑碧茶園」の音のイメージを残したものです。
この時期、国際化とともに、お茶の世界にも大きな変化が起きていました。店頭にもルイボスティーやハーブティーなど「お茶以外のお茶」が増え、お茶のヘルシーさにいっそう大きな注目が集まります。さらに様々なお茶を手軽に楽しみたいというニーズから、従来のリーフティーに対してティーバッグの比率が急激に高まって来たのです。
量り売りのリーフティーを重視していましたが、「緑碧茶園」で導入した新鮮さを保つ袋入りのお茶の販売を、すべての茶葉で開始、さらに浸透性に優れたナイロンメッシュを使った大きな三角のティーバッグも導入し、ほとんどのお茶をリーフティーと同じ茶葉でおいしく手軽にいれられるようになったのです。それとともに、新作のお茶や歳時記のお茶、地域限定のお茶などのために、自社でデザインした限定ラベルやパッケージのデザインにも人気が集まりました。
2005年9月に発行された
『ルピシアだより』の創刊号Vol. 1
販売方法も、店頭販売だけでなく、ネット時代になって通信販売が大幅に拡大。さらに、多くのお客様にお茶の風味を試していただける、1万人の試飲会をやりたいという思いで、2006年に「ダージリン・フェスティバル」を開催しました。2008年には、世界のお茶の祭典「ルピシア グラン・マルシェ」をスタート。2024年も全国各地の会場で多くのお客様にご来場いただいています。
2006年に初めて開催された「ダージリン・フェスティバル」
また、「もったいない」をコンセプトに、様々な理由により捨てられてしまう在庫を買い取り、お買い得理由を表示して販売する新ブランド「ルピシア ボンマルシェ」を立ち上げ、モノを大切にする豊かな生活を提案しました。
生産面では、従来の宇都宮工場に加え、東日本大震災後の北関東、東北の状況を見極めつつ、お客様の安心感のためにも西日本での生産拠点をつくりました。
食品メーカーへ、北海道ニセコへ
フランスのグロッサリーショップへの憧れから名付けた「レピシエ」という名前が「食料品店」を意味していたことからもお分かりのとおり、ルピシアの夢は、当初からお茶を中心に広く「食」の世界のおもしろさを広げていくことでした。以前からスコーンやクッキー、ティージャムなどの食品も製造・販売していたルピシアですが、2011年には本格的な食品ブランド「ルピシア グルマン」を立ち上げます。
そして翌2012年には、かねてからリゾートとしての食材や食文化に注目していた北海道・ニセコ町に、食のリゾート「ヴィラ ルピシア」をオープンさせました。レストランやブティック、スイーツショップを備えた「ヴィラ ルピシア」は、世界中から訪れる観光客の皆様にもご支持いただいています。
そんな時に、世界を襲ったのが新型コロナウイルスでした。2020年4月には1回目の緊急事態宣言が発出され、世界中の人々が移動を制限され、「新しい生活様式」を迫られたのです。
ルピシアは、各店舗こそお客様の減少に苦しんだものの、ITのおかげで、お客様とのコミュニケーションも、東京や各地の店舗・工場を結ぶコミュニケーションも、かえって深化したかもしれません。
そこで思い出されたのが、以前から幾度も訪れ感銘を受けていた、北海道・ニセコ町です。四季を通じて姿を変える自然の素晴らしさ、その環境に魅了され、海外から集まるお客様や企業、それらが共存し創り出される新しい時代のライフスタイル。このような環境でこそ新しいサービスや商品の提案ができるのではないかと、2020年7月に本社をニセコに移転、2023年には新社屋を完成させました。敷地内には、ニセコブルワリーも建造し、羊蹄山(ようていざん)の水を使った地ビール「羊蹄山麓ビール」の製造・販売も開始、さらに羊蹄山の麓で「北限のお茶」の栽培を始めるなど、ルピシアは北海道の会社として、新しいスタートを切りました。
羊蹄山を背景に佇む北海道・ニセコ本社
ニセコの冬景に映える、ヴィラ ルピシア レストラン
そして次の30年へ
この30年、社会とともにルピシアは、社名も本社所在地も店舗・商品の見かけも大きく変わってきました。けれど、お茶と食べることが大好きで、お茶から広がる食の楽しみを、もっともっと豊かにおもしろく、世界の皆さんと共有していきたいという創業の精神には、何の変わりもありません。ここからどんなことが新たに生まれてくるのか、それはまだ誰にも分からないことです。だからこそ、ルピシアのスタッフ自身も、お客様とともに、これから10年、20年、30年に起こることを、ワクワク楽しみにしているのです。
2013年、パリ6区、サン・ジェルマン・デ・プレ教会そばにオープンしたフランス パリ店