150年の時を経て、和紅茶が実を結びだした

国産紅茶を復活させた1人、村松二六さんインタビュー

写真:村松二六さん

今から35年前、多田元吉がインドから持ち帰った茶樹が、土地開発のために伐採されることを受け、原木の移植保存と同時に丸子で本格的に紅茶の復活に打ち込んできた村松さん。その想いを伺いました。
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多田元吉から繋いできたこと、想い

スリランカや台湾、アッサムなど海外の主要茶産地に何度も足を運び、国内外の専門家の指導を受けながら研究と実践を続けてきた村松さん。84歳の今も現役で積極的に後進の育成にも取り組み、明治から現代へと和紅茶のバトンを繋ぐ第一人者です。

元吉から継承する村松さんの紅茶作りへのこだわりは、茶樹の栽培だけでなく、オーソドックス製法や機器の独自開発など、すべてにおいて職人技。萎凋(いちょう)や発酵など、繊細な感覚を必要とする紅茶作りには、長年培ってきた学識と経験が生かされています。

村松二六さん(中央)と、宮崎・五ヶ瀬の興梠洋一さん。

「元吉がインドからジャクソン式の揉捻機の図面を持ち帰り、高知でインド式の紅茶製法を試みたのが日本の近代茶業の始まり。元吉は、製茶機械の近代化の礎にもなっている」と話す村松さん。自身が開発した発酵機などの製茶器具を使用し、元吉由来の紅茶品種の風味や香気のポテンシャルを追求するなど、地道な研究を続けてきました。

村松さんは「紅茶発祥の地として、和紅茶のレベルを均質にしていきたい」という想いから、未経験でも気概のある人なら誰でも実習する場であってほしいと、場所の提供や技術の開示を続けています。村松さんのノウハウを身に付けたいと、全国から茶農家や飲料メーカーなど
が丸子を訪れ、これまで多くの人が指導を受けてきました。その輪は年々広がり続けています。

元吉が眠る多田家墓地にうっそうと茂る、アッサム系原種や、インド系小葉種の原木たち。

村松二六さんの畑に育つ、原種に近い「べにふうき」の茶樹。新芽を齧るだけで、濃厚な紅茶の香気が感じられる、力強い味わい。

2000年代以降の和紅茶の復興について

「仕上げの際は、極限まで温度を上げ、焦げる寸前のタイミングを見極めて乾燥を止める。周囲では『二六マジック』と呼ばれているよ」、いたずら好きの少年のような笑顔で、度々ジョークを交える村松さん。
和紅茶の未来について伺うと、「気候風土が違えば茶葉の個性も異なる。海外の有名産地に追いつけ追い越せなんて考えたこともない。その土地の茶葉をいかに生かすか、茶葉の持ち味を出すことが我々の仕事と思っている」。さらに、元吉のオーソドックス製法による紅茶は、味わいや香りだけでなく機能性にも優れていることが専門の研究者から報告されていると話してくれました。多田元吉のオリジンは、村松二六さんによって明治から令和へと着実に受け継がれ、そのバトンは草の根的に全国に手渡されています。

新世代「令和・和紅茶」最前線

十数年ほど前から一部のコンテストや品評会出品を中心に、国産紅茶の品質が見る見る向上し、インド・ダージリンやアッサムのクオリティーと比較しても遜色ない品質の、新世代と呼べる茶葉が散見するようになりました。

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