「お茶」と「ミルク」。言わずと知れた相性の良い組み合わせですが、その出会いは偶然だったのでしょうか。
今月はミルクティー誕生の謎に迫ります。
お話を伺った方
帯広畜産大学 人間科学研究部門 教授
平田昌弘(ひらたまさひろ)先生
大学院時代に休学し、青年海外協力隊に参加。シリアへ渡ったのをきっかけに、乳文化の研究の世界へ進む。25年の歳月をかけ、世界各地へ足を運び乳文化と牧畜について調査研究を続ける。
ミルクティーという食文化の誕生
世界中で広く愛されるミルクティー。最近ではミルクティーといえば紅茶だけでなく、抹茶や烏龍茶、焙じ茶など様々な種類のお茶で楽しまれています。世界を見渡せば、ミルクティーを飲まない日はないという国や地域も珍しくありません。
今や食文化の一つともいえるミルクティーは、そもそもどのようにして生まれたのでしょう。『人とミルクの1万年』の著者で、世界の乳文化の研究者である平田昌弘先生に、お話を伺いました。
ミルクの歴史は乾燥地帯で始まった
ミルクの歴史のスタートはお茶の歴史より古く、約1万年前まで遡ります。「地球上で最初に牧畜を行ったのは、水資源の乏しい乾燥地帯で生き抜く、西アジアの人々でした。多種類の農作物が育ちにくい環境の中、哺乳動物を飼い、そのミルクを利用するようになりました」と平田先生は話します。
牧畜民にとってミルクは、農作物に代わる重要な栄養源。すぐに消費しなければならない生乳の利用から、やがて保存食に加工する技術を身につけます。そうして生まれたのがヨーグルトやチーズ、バターでした。その後、ミルクを利用する生活様式は、西アジアから、同じく乾燥地帯であった南アジアや北アジアなど、ユーラシア大陸各地に広まります。
ミルクを利用する文化圏では、昔からミルクティーが飲まれていたのでしょうか。平田先生に尋ねてみると、意外にも「アジアの乳文化圏のうち、ミルクティーの文化が古くから見られるのは南アジアのインド、北アジア・中央アジアのモンゴルをはじめとする北方地域、そしてチベットだけ」なのだそう。なぜこの3つの地域だけなのか、ますます謎は深まります。
紅茶とミルクが交わるインド
現在、ミルクティー文化が根強く浸透しているのが、紅茶大国インドです。たっぷりの砂糖を入れて茶葉とスパイスを煮出したミルクティー「チャイ」が生活の上で欠かせません。
19世紀頃、イギリスの植民地として紅茶の栽培を始めて以来、世界的な生産量を誇るインドは、実はミルクの生産量も世界第1位。お茶、ミルクともに生産が盛んなことに、ミルクティー誕生の因果関係があるのでしょうか。
「実はそうとも言えません。ミルクの発祥地・西アジアも、インドと同じく乳文化圏かつ、中世の頃から紅茶が飲まれてきました。しかしミルクティーを飲む文化はありません。それは、牧畜民はそもそも生乳を飲まない、ということに関係しているのかもしれません。
牧畜民にとって、基本的にミルクは加工、保存してから利用するもの。現代においても生乳を飲むのは都市・農村民の文化なので、西アジアの牧畜民はミルクティーを作るという発想に至らなかったのでは」と平田先生は推察します。
つまりミルク、お茶それぞれの文化圏が重なると必然的にミルクティーが生まれる、というわけではなさそうです。ではなぜ、インドではミルクティー「チャイ」が発展したのでしょう。その裏には、インドならではの地理的条件と、そこから生まれた独特な乳文化が隠されていました。
インドならではの有利な地理条件
独自の地理的条件としてまず挙げられるのは、インドが赤道に近く、一年中、日照時間がほとんど変化しないこと。これにより、ウシやヤギといった家畜動物の出産シーズンにピークがなく、年間を通じて新鮮なミルクを手に入れることができます。
第二に、インド国内では牧地・農村部・都市部の互いの距離が近いため、新鮮なミルクをすぐに市場へ流通させることができたこと。しかも各世帯へ新鮮なミルクを届けるための個人配達業者がいるほど、インド都市部の交通網は発達していました。
この交通網のおかげで、農村部で栽培される砂糖と、牧地で生産されるミルクは、都市部で合わさって料理され、ホットミルクの屋台などが現れはじめます。
甘~いミルク独自の文化が発達
ミルクと砂糖の出会いは次第に広がりを見せ、ナッツやスパイスを入れたヨーグルトや、ドライフルーツ入りのラッシーなど、砂糖たっぷりの「乳菓」=ミルク菓子が生まれました。
平田先生によると「面白いことに、世界中でこれほど複雑に『乳菓』が発達しているのは、インドぐらい」なのだそう。灼熱の国インドにおいては、糖分がエネルギー源にもなるため、インドの甘いミルク菓子文化はどんどん発達していきました。
そんな中、イギリス植民地時代にインドに登場したのが紅茶でした。
「ミルク菓子文化が極めて発達していたため、甘いホットミルクや、スパイスの効いたミルクに慣れ親しんだ食文化が形成されていきます。ですから、そこに紅茶が合流して、煮出したミルクティーなるものが誕生したのは、自然な流れだったのではないでしょうか」と平田先生は分析します。
しょっぱいミルクティー!?
では次に、インドと同じく乳文化圏でありながらミルクティーが生まれた希少なエリアであるモンゴルやチベットを見てみましょう。
モンゴルで飲まれるミルクティーは磚茶(だんちゃ)(=プーアル茶などを固めたもの)を削り、ミルクと煮出して作ります。しかし、同じ煮出し式のインドの甘いチャイとは全くの別物。モンゴルのミルクティーはなんと塩味です。この独特のミルクティーが誕生した背景にも、その土地ならではの乳文化が影響しているのではと、平田先生は言います。
「一つの理由としては、温暖な地域でしか栽培できない砂糖が、冷涼なモンゴルでは手に入らないということです。もう一つ考えられるのは、最初に『牧畜民は生乳を飲まない』と言ったように、モンゴルの牧畜民が古来ミルクを飲み物としてでなく、穀物や肉を煮る時に利用していたためと推測できます。岩塩入りのミルクティーで食材を煮込み、食事としていただく。その名残で今も塩味のミルクティーを飲んでいるのではないでしょうか」
同じくチベットのミルクティーも磚茶を使用していますが、チベットでよく飲まれるのは、バターを浮かべた「バター茶」です。モンゴルやチベットでは、一年中温暖な気候のインドとは違い、ミルクが豊富に手に入る時期が夏に限られています。大事な栄養源であるミルクが不足しがちになる冬のために、夏の間に加工、保存しながら使うことが多いようです。
「地域ごとに築かれた乳文化には、それぞれの独自性があります。改めて考えてみると、南アジアのインド、北アジアのモンゴル、そしてチベットに共通して言えるのは元からあった乳文化に、後から入ってきたお茶という食材が、すんなり適合していったということ。そうして新たなミルクティー文化があちこちで誕生してきた。もちろんそこには『お茶』と『ミルク』という食材同士の相性の良さも、関係していたと思います」
同じ食材でも所変われば生まれる味わいは多種多様。きっとこの先も「お茶」と「ミルク」は、私たちの生活の中で新たな出会いを繰り返していくのではないでしょうか。
参考文献:『ユーラシア乳文化論』『人とミルクの1万年』(平田昌弘 著/岩波書店)
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インドは灼熱の国。暑い中、乳脂肪の高い水牛のミルクで茶葉を煮出し、たっぷりの砂糖を入れたチャイを飲むと、マサラの爽やかさも心地良くて生き返る思いがしますね。現地では朝起きた時、客人がきた時、一日の終わりと日に何度もチャイでエネルギーを補給しています。
おすすめのお茶
ハプジャンパルバット
熟れた果実のような甘みとコクがある紅茶。茶葉の形状が細かくミルクティーにぴったりです。
初めて飲んだ塩味のミルクティーには、驚かされましたね。甘みのあるチャイとは違い想像のつかない味でした。でも風が吹き抜ける何もない草原の中、牧畜民を訪ねて出してもらった一杯は、人の温かさを感じ、大地の恵みを頂くという感覚が、今も心に刻まれています。
おすすめのお茶
養生プーアル茶
独特のスモーキーな香りのプーアル茶。渋みがなく甘い後味で、比較的クセのない黒茶をブレンド。
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